ずっと好きでい続ける難しさ
嵐が好きでした。というと過去の感情のようで悲しくなるので「嵐が好きです」と言い直します。
非常に飽きっぽい自分が、なんと7年間ドハマリしたグループ。好きに際限なんてないのではないか…と当時は思いながら、溢れる想いを抱えテレビやドラマ、映画にライブDVDを見ていました。青春時代をすべて嵐に捧げた、と言っても過言ではないと思う。それくらい嵐が自分の世界の中心にあった。
学生で、しかもバイトが禁止だったので、貯金を崩しながらライブDVDや雑誌を買ったり。
録画しているのにも関わらずリアタイしなければ気が済まず、その時間だけのチャンネル権をもらったり。
ファンクラブに入って自分もライブに応募できるとわかってからは毎年応募し、何回か参戦したり。
嵐繋がりでできた友達もでき、それはそれは楽しい日々を送っていました。
でも、ふと思ったことがあります。それは嵐ファンになって7年が経った頃。ちょうど地元で9年ぶりにライブをして、それに無事参戦し終えた頃だったかな。
「ちょっと疲れた」と、思ってしまった。
追いかけ続けることに疲れを感じてしまったんです。嵐はとにかく人気で、あまり知らない人でも「嵐」というグループは知っていると思います。CMでもよく見ますしね。
そして、
あの雑誌が欲しい→あの雑誌を買わなきゃ
この番組見たい→この番組も見なきゃ
と、何故か義務のようになっていたことに気づきました。人は何かを強いられると逆にやりたくなくなる生き物だと思ってます。「〜をやらなきゃ」と思った時点でもう、心の底から楽しんで見たり聞いたりすることができない。
あれほどあった熱も今はどうだろう。冷めてしまったのではないか。あの頃と今の「好き」は果たして同じものだろうか。
とても悲しくなりました。
もう自分はあの時のようにひとつのことだけに熱中できないんじゃないかと。こんなにハマっていたのに、少しずつ番組も見る時間が減っていく。
多分、どのコンテンツでもこういうことはあると思います。同じ熱をひとつのものにずっと注げる人って多分あんまりいない。
そして自分の考え方が少し曲がっていたことに気づきました。
「熱が冷めた」ではなく「熱が落ち着いて、冷静に見られるようになった」。
好き=義務じゃない。
好きな時に見て聞いていけばいい。自分は誰かと比べていた。ファンとはすべてのことを知っていなければいけない気がしていた。
番組をすべて見ているから偉い、というわけではないのに。
知らない曲があってもいい。見ていない作品があってもいい。
そう思考を柔らかくするとすごく楽になりました。
嵐の熱が落ち着いた頃、別のコンテンツの作品を好きになりました。そこから派生してさらに別の作品にもハマり、更に別の作品へとどんどん「好きなもの」が増えていきました。
今でも、その作品への愛を失ったように感じてちょっと寂しい気持ちにはなります。
その時は、「今までは机にずっと出して眺めたり騒いでたけど、落ち着いたからタンスに大事に仕舞っているだけ」と思うようにしてます。
だって、それを好きという気持ちに変わりはないんだし。
↑嵐の大野君が好きで作ったソロ曲「Rain」の衣装。タンクトップのビーズ手作業でつけたのが懐かしい…
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